2013年9月11日

私が日本舞踊家になることにした経緯

私が日本舞踊家になることにした経緯。

姉達の着物姿に憧れて4歳から稽古をつけてもらえることになり、それからは時に楽しみ、時にサボりたくなりながら、社会に出ても続けてきました。私にとってライフスタイルにさほど重要なものでは無かったのだけど
 
…23歳の時に転機が

近くに住む他流の先生から、
 
「国技館で民謡大会があるのだけど、そこに日本舞踊家の招待枠があり加わってみませんか?」
 
というお話を頂きました。興味本意に参加することに。

練習に加わってみると、そこには同世代の若者が男女8人ほど居て。聞けば日本舞踊の学校に通っている方と…
 
その日まで私にとって日本舞踊はごくごく一部のひとの習い事だったわけで

そういえば昔、母から聞いたことはあったけど、本当に日本舞踊家を養成する大学に通っている同世代の子がいるなんて、驚いて。日本舞踊家として自立心を持っている同世代の彼等がとてもカッコ良かった

現在、日本舞踊家を養成する主な大学は
 
「東京藝術大学」「日本大学」
 
です。その他にも日本の歴史を学ぶ学校などの選択教科にあったりもするようです。
 
日本舞踊はもちろんのこと、舞台芸術のことや、関わるあらゆる分野のことを、プロの講師から学びます。大学という場所柄、自ずと人脈も出来るわけです。

23歳にカッコイイ彼らに出会ったことで、知らないことだらけの日本舞踊をもっと突き詰めてみようと発起しました。
 
それからは、どんどんのめりこみ。
 
母から離れて外の稽古へ通わせてもらい。いろんな対外活動に参加し
 
日本舞踊の空気をたくさん吸わせてもらいました。

30代になり、出産という人生の大イベントをむかえ、
 
諦めることや、我慢することもたくさんありました。
 
育児という時間と子供に追われる生活の中で、
 
日本舞踊に対する熱が冷めている自分もいました。
 
「みんなこんな時間のかかること良くやるな・・・」
 
みたいな(^^ゞごめんなさい。今はそんなこと思いません。)

23歳の時に出会った彼等は、今、舞踊界の第一線で必要不可欠な存在となり活躍しています。
 
同世代のトップクラスです。
 
そりゃあ、自分の未熟さを思い知らされるのに充分すぎる存在だったんだと今になると思います。

そして、女性については誰も結婚していません。
 
彼女達はみな、結婚せずに踊り続け、伝承する道を選んだんだと感じます。
 
舞踊家でそういう方は少なくありません。
 
確かな芸と人柄を合わせ持つ方達ばかりで、尊敬しています。
 
当時、この人達と一緒に作品をつくれたことは私の大きな原動力です。

私に至っては、子育てに意識を注ぎたかったのでしばらく外の舞踊会とは離れ
 
去年から新たに再スタートをきりました。
 
11年前に活動してたので、当時の若手気分で現場に行くと
 
自分の年齢に驚きます(@_@;) 現場は正直です。

やはりブランクは否めないのだけど、
 
取り戻そうとか、大きなことをしようとは今は思ってません。
 
日本の伝統芸術。伝承する義務があることに気付いたのなら私なりに担うべき
 
とごく単純な思いで始め続けています。

11年間、観る側だったことで気付いたこともたくさんあります。
 
少なくとも、私の舞台を観に来てくれた方に何か興味を持って帰ってもらいたいなあとは思ってます。

ちょっと、今回は自己満足な綴りになってしまいました。失礼。