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6日目【5/13土曜日】

◎ 本日は夜に移動ということで、それまで自由時間。

◎ Sちゃんと世界遺産へ行こう!!と張り切ったが断念。プランバナンへ。

◎ ワークショップへ戻り昼食。

◎ 宿へ戻り、カラダの疲れを少しでも取っておくために寝る。

◎ ジョグジャカルタのサポート「ガラシャ」との懇親夕食会

◎ 一路、テュガルへ。21時出発。夜中の移動。

◎ 夜中の2時頃にテュガル着。母が車酔いとなり辛そう。

◎ 初めて与えられた部屋の変更を依頼。

◎ 母の体調を気遣い、風呂を済ませ、就寝3時過ぎ。


今日はM氏のワークショップ。

基本的にスタッフ&パフォーマーは休息日となった。

ジョグジャカルタは世界遺産の「ボロブドゥル」があったので、

Sちゃんと 「行けるもんなら絶対に行きたい」と懇願していた

そこに沸いた一日OFF。

本日は夜に移動ということで、それまで自由時間。

Sちゃんと目を輝かせたが・・・ なんとお釈迦様の誕生日

そういう儀式のある日は一般観光客はその近くまで寄れないらしい・・・。

ホテルの人に相談しても、今日ばかりはオススメは出来ないとのコメント 

ホテルから寺院までは片道2~3時間くらいの時間を要するかもしれないから、

行って見れる可能性の低い選択をするには・・・

ということで断念することになりました。

そして、他のメンバーから近くにある「プランバナン遺跡」をススメられたので、

そこに行くことにした。

女の子2人では危ないからと、

スタッフのアディム(23)&ウィジー(40推定)が護衛につけられ、

疲れている彼らには申し訳ないダブルデートとなりました。

プランバナンまで40分。

車中はSちゃん&アイコの日本語講座がくりひろげられることになる 

アタシの日本語でいいのかって感じだけど、

みんな楽しそうだったからヨシ

今回の旅はバスでインドネシアをまわっているので、

バスの運転手さんは2人の交代システム。

私とSちゃんの間では『ヨネスケ』&『荒くれ野郎』

というあだ名がついています 

その理由は『ヨネスケ』は単純に漫才師のヨネスケに似ているから。

『荒くれ野郎』はめちゃめちゃ運転がアグレッシブなんです

このバス内での臨時日本語教室で彼の名は

『ロイヤニャ』と判明。

彼のアダ名は『荒くれロイヤニャー』に改名された。

ロイヤニャーはめちゃめちゃ日本語に興味を持ち、

・・・というか喋り好きらしい。

どんどん話をボディランゲージ含めて大きくしていくから楽しい

私の持っていた『指さしインドネシア語』の本で

かなりバス内は日本語&インドネシア語&ジャワ語が飛び交い盛り上がった。

結果、インドネシア語では現地の人でも伝わらない人が多く、

ジャワ語が母国語で、インドネシア語は教育を受けないと通じない場合があるらしい

やっと、何故ここの人が英語が通じないのか判った。

インドネシア語ですら通じてないときがあり。

要するにインドネシアで一番通じる言葉はジャワ語ということ。

もちろん観光で行くような場所はインドネシア語で通じるのだろうけど、

貧富の差の大きいこの国では必然的に学校で学べない子供が少なくない。

今回の旅は観光ではないから私達がそっちの世界に目線をそろえなければならない。

気付けば回りはジャワ語しか喋れないスタッフも多かった。

いろんな現実を目の辺りにする。

Sちゃん&私&ヨネスケ&荒くれロイヤニャー&アディム&ウィジーの6人を乗せたバスは大盛り上がりでプランバナンに到着。

お互いの文化や言葉を交換できたのも嬉しかったし、

お互いを尊重しあえる空気が嬉しかった。

現地スタッフとの距離が少し縮まったと感じることが出来た。

すごく恥ずかしがりやのアディムがたくさん喋ってくれたのも嬉しかった。

プランバナンはインドネシアのジャワ島中部、

ジョクジャカルタ市東方にあるヒンドゥー教寺院の遺跡群。

世界文化遺産にも登録されている。

いろんな箇所に日本と共通する様式が見え、とても居心地の良い空間でした。

あまり多くを語らないウィジーは、スタッフの中で2人英語が話せるうちの一人。

質問をすれば丁寧にプランバナンの観光案内をしてくれる。

ちょっとキザな感じのするウィジーだけど、

アディムの、とても優しいお兄ちゃん代わりのような存在で、

初めてここを訪れるアディムもウィジーを頼りながら興味深そうに寺院を見学していた。

プランバナンは、現地の人が入場料40円くらいのところ、

外国人は別のけったいな門構えの入場口があり1000円・・・ 

もお現地人気分になりつつある私達にとっては価値感からしても非常にフに落ちない・・・ 

ロイヤニャも現地人入り口から入っちまえ!!と私達を思って発言してくれているようだけど・・・

これはシステムでどうしようもないらしい・・・神聖なる場所だし・・・

ということで、みんなで肩をすくめあって私とSちゃんは1000円払うのでした

まあ結果的には中を見て、修復中の場所もあり、そこに生かされるのならと思えるのでした。

日本人は一人も会わなかったので、この空間で非常に目立つ私達2人。

小学生の先生らしき現地女性に声をかけられる。

「私は教師をしているものです。あなた達は日本人ですか?」

「ここにサインしてもらえませんか?」

・・・・・どういう意図なのかは良く分からないが、

その先生のまわりには目をキラキラさせて私達を見上げる子ども達

ウィジーも書いてあげればいいよと言うので、

日本語で書く。漢字が嬉しいらしい。

Sちゃんがサインしているのを傍からみると、どこのアイドルだ??って状態。

おもしろ~い。

子ども達に「いつか日本に来てね」と声をかけ別れた。

この遺跡のすぐ横に、前回の公演場所のソロと、

ジョグジャカルタの町境があって、それはとても景色がキレイだった。

ワークショップ開場へ戻り昼食。

ワークショップに真剣にとりくむガラシャのメンバーを見て、この人達に恥ずかしくない姿勢で私も舞踊にとりくまなくてはと思う。

宿へ戻り、カラダの疲れを少しでも取っておくために寝る。

母は午前中も宿でカラダを休めていた。

久しぶりに小説を読むことに時間を注げたらしい。

今回の宿がこれまでの中で一番ゆっくり出来た。

オーナーが日本人だからか、何だかホッとできる空間。

中庭が日本庭園のようになっているのも一因かも

一時間ほどカラダを横にして休み、移動のための荷造りを整える。

今回の旅は、同じ場所に2日滞在というスケジュールなので、荷物はスーツケースに入れたまま・・・

でも公演の準備などで毎回ゴチャゴチャになってしまうので、

移動の度に整理するのが結構おっくうでした。

夕飯はジョグジャカルタのサポート「ガラシャ」との懇親会

若い劇団員が多く、それぞれに夢を抱き、現実にさせようと努力をしている彼ら

私がもう少し、インドネシア語かジャワ語が話せたらいいのに・・・ともどかしい。

来年あたり、また日本で公演予定があるようなので、

その際には是非とも足を運びたいな

21時、次の公演地であるテュガルにむけ出発。

一番心配していた夜中の移動。

母はジョグジャカルタに入ってから胃がさらに不調だったので、

夕飯もろくに食べれなかった。

長時間の車の移動は大変そうだな~と心配になる。

夜中のドライブ 荒くれロイヤニャーの運転

夜は熱血ロイヤニャーのドライビング魂が騒ぐのか?

別に居眠り運転ではないけど、平気で対向車線を走り、バンバン追い抜く・・・見ちゃいられない、

眠かろうが眠くなかろうが、ロイヤニャーを信じて目を瞑っているしかない

2時頃にテュガル着。母が車酔いとなり辛そう。

今日の部屋は、バスタブが無く、シャワーも水しか出ないトイレ共同型。

親子ということでツインベットという条件を重視してセレクトしてくれたらしい。

初めて与えられた部屋の変更を依頼。スタッフの方すみません。

でも、体調管理は自分の責任、舞台に穴をあけるわけにいかないし、

体調不良を押しても良い作品は出来ない。

今回ばかりはワガママを言わせてもらって、ダブルベットではあるが、

バスタブがあり、お湯の出る部屋に変更してもらう。

母もバスタブに湯をはってカラダをあたためることで、ずいぶん体調を挽回させた様子。

明朝の母の体調を心配しながら、ベッドを揺らさないように夜中3時過ぎ就寝。

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